吉田拓郎 Compilation Album
GOLDEN⭐︎BEST 吉田拓郎 〜Words and Melodies
GTmusic / Sony Music Direct (Japan) Inc.
2011年5月18日発売(2CD : MHCL 1898 / 1899)
Mastered by 茅根裕司(Sony Music Studios Tokyo)
SonyMusic企画による吉田拓郎(よしだたくろう)氏のベストアルバム。フォーライフの音源もライセンス収録している。
Disc1
1. 明日に向って走れ
(作詞:作曲:吉田拓郎・編曲:松任谷正隆)
(C) 1976 YUI SONGS
1976年3月25日発売の11thシングル。最高8位、17.8万枚。
カントリー調のアコースティックな曲。これって松任谷正隆さんアレンジだからかユーミンに近い風合いを感じるんだよね。
アルバム『明日に向って走れ』
2. せんこう花火
(作詞:古屋信子・作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 YUI SONGS
アルバム『元気です。』
3. 元気です
(作詞:作曲:吉田拓郎・編曲:青山徹、大村雅朗)
(C) 1980 NICHION,INC.
1980年11月5日発売の20thシングル、最高37位・5.6万枚。
4. こうき心 '73
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
ビーイングを設立した長戸大幸氏はこの曲の歌詞に感銘を受けて吉田拓郎さんに会うためだけに接点を持とうとフォーライフのオーディションを受けたと本人が言ってました。
長戸大幸氏はオーディションに受かりサンプル盤『軽い気持ちで』も出来上がりデビュー寸前までいきましたがレコードは発売されることはありませんでした。
そのあと作曲家やら芸能プロモーター、ブティック経営などを経てビーイングを設立し、ユイ音楽移籍以前のBOOWYや浜田麻里などを送り出しTUBEやB'z、ZARD、T-BOLAN、WANDS、大黒摩季、DEENなどを送り出しブームをつくりました。1999年には倉木麻衣もプロデュースしています。
アルバム『LIVE '73』、オリジナルはアルバム『よしだたくろう 青春の詩』
5. 言葉
(作詞:松本隆・作曲:吉田拓郎)
(C) 1978 YUI SONGS
アルバム収録曲21曲農地の13曲は主に作詞を担当した松本隆氏と箱根に合宿して制作した。
アルバム『ローリング30』
6. 旅の宿
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
1972年7月1日発売の5thシングル。最高1位、70万枚。吉田拓郎氏の最高ヒットシングル曲。
アルバム『また明日。』(別ヴァージョン)
7. 花酔曲
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 YUI SONGS
サウンド的には、はっぴいえんどとさほど変わらないなあと感じた。
6thシングル『おきざりにした悲しみは』C/W
8. ビートルズが教えてくれた
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
印象的なエレキのイントロで始まるバラード。これが拓郎節ってやつなんだと思われる。
アルバム『伽草子』
9. 暮らし
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1974 YUI SONGS
初めて聴いたんですけどサウンドが『人生を語らず』に似てると思いました。こういうのも拓郎節ってやつなんでしょうかね?
アルバム『今はまだ人生を語らず』
10. 金曜日の朝
(作詞:安井かずみ・作曲:吉田拓郎・編曲:柳田ヒロ)
(C) 1973 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
1973年12月5日発売の8thシングル。最高27位、7.8万枚。
荒井由実っぽい風合いを感じる。
11. 夏休み
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
ライヴ盤『よしだたくろう オン・ステージ "ともだち"』で発表した楽曲をスタジオ録音
アルバム『元気です。』
12. シンシア よしだたくろう&かまやつひろし
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1974 YUI SONGS
1974年7月1日に発売された9thシングル。最高21位、15.2万枚。
アルバム『今はまだ人生を語らず』
13. たどり着いたらいつも雨降り
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 horipro & YUI SONGS
グループサウンズのバンド モップスが1972年7月5日にシングル表題曲として発表している。ただし、モップス版は『たどりついたら〜』であるのに対して吉田拓郎版は『たどり着いたら』と漢字になっている。
アルバム『元気です。』収録
14 おきざりにした悲しみは
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
1972年12月21日発売の6thシングル。最高11位・19.2万枚。
15. まにあうかもしれない
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 YUI SONGS
アルバム『また明日。』収録
16. 襟裳岬
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1985 Watanabe Music Publishing Co .,ltd.
1974年に森進一のシングルとして発売し最高6位、46.2万枚のヒットに。
アルバム『今はまだ人生を語らず』
17. ひらひら
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
アルバム『LIVE '73』
18. 唇をかみしめて
(作詞:作曲:吉田拓郎・編曲:広島二人組)
(C) 1982 YUI SONGS
1982年3月21日発売の23rdシングル。最高18位、9.7万枚。
19. 落陽
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
アルバム『LIVE '73』で発表された楽曲。オリジナルはライヴ音源で今作に収録されているのもこちら。
イントロで引き込まれてゆく…
繰り返す人生と沈んでは昇る太陽を重ね合わせている。
1989年9月13日に32ndシングルとしてリアレンジして発売。最高41位、2万枚。
アルバム『LIVE '73』収録
20. 人間なんて
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1971 YUI SONGS
アルバム『人間なんて』収録
21. イメージの詩
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1970 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
1970年6月1日発売。
『よしだたくろう オン・ステージ "ともだち"』
Disc2
1. 春だったね '73
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 YUI SONGS
アルバム『LIVE '73』収録音源
アルバム『LIVE '73』、『また明日。』
2. マークII '73
(作詞:古屋信子・作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
アルバム『LIVE '73』
3. ともだち
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1971 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
ゆずっぽいなと思ったから、ゆずは影響受けてるかも?
シングル『今日までそして明日から』C/W
『よしだたくろう オン・ステージ "ともだち"』収録
4. 流星
(作詞:作曲:吉田拓郎・編曲:鈴木茂)
(C) 1979 NICHION,INC.
1979年5月5日発売の16thシングル。最高54位、2.8万枚。
Tさんがとても好きだった曲で、よくお店で歌っていました。いつの間にか僕も歌える曲になってたな。こんなに良いのにヒット曲ではないのですね。
5. 知識
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C)1974 YUI SONGS
初めて聴いた曲の中で一番気に入ったのがこちら。
アルバム『今はまだ人生を語らず』
6. 加川良の手紙
(作詞:加川良・作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 不明
手紙にメロディーを付けて歌うという画期的な手法で制作されたという。一瞬ラップかと思った。(笑)
アルバム『元気です。』
7. 伽草子
(作詞:白石ありす・作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
同名タイトルのアルバムから1973年6月21日に7thシングルとしてリカット。最高37位、6.7万枚。
最高36位、6.7万枚
8. どうしてこんなに悲しいんだろう
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1971 YUI SONGS
アーティストには好きなメロディーってきっとあるんだろう。拓郎氏に関してはその傾向が顕著だ。
アルバム『人間なんて』
9. 都万の秋
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
アルバム『LIVE '73』
10. おやじの唄
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 YUI SONGS
シングル『旅の宿』C/W
11. 贈り物
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1974 YUI SONGS
このあたりもニューミュージック寄りの質感。
アルバム『今はまだ人生を語らず』
12. 結婚しようよ
(作詞:作曲:吉田拓郎・編曲:加藤和彦)
(C) 1972 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
1972年1月21日発売の4thシングル。最高3位、42.2万枚。
13. 風邪
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
アルバム『伽草子』
14 となりの町のお嬢さん
(作詞:作曲:吉田拓郎・編曲:松任谷正隆)
(C) 1975 YUI SONGS
1975年9月25日発売の10thシングル。最高4位、30.2万枚。
松任谷正隆氏がアレンジを担当している。
15. 祭りのあと
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 YUI SONGS
オリジナル・ヴァージョンでしょうか?初めて聴いたのがリアレンジのライヴ・ヴァージョンでしたからちょっと違和感がありました。
アルバム『元気です。』
16. 制服
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
アルバム『伽草子』
17. 外は白い雪の夜
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1978 YUI SONGS
1978年アルバム『ローリング30』収録曲。この曲もTさんがよく歌って泣いてました。(涙もろい方でした)
17thシングル『春を待つ手紙』C/W
18. 7月26日未明
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1984 不明
拓郎節なんだろうけど、尾崎豊を思い出してしまう。なぜだ。
アルバム『FOREVER YOUNG』
19. 人生を語らず
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1974 YUI SONGS
Tさんが同年代のお客さん3人で行った『吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006』の後によく聴いていた曲です。
その時の3人のうち2人は旅立っています。
2013年に堂本剛がアルバム『カバ』においてカバー音源を発表している。
アルバム『今はまだ人生を語らず』
20. 今日までそして明日から
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1971 YUI SONGS
1971年7月21日発売の3rdシングル。最高59位、3.0万枚。
アルバム『よしだたくろう 青春の詩』
吉田拓郎氏の音楽との接点を思い浮かべてもなかなか見つけられない。なんとなく名前は知っていて大御所的な方くらいの認識しかなくその音楽に興味を持つこともなかった。
KinKi Kidsの番組に出演されていたときに初めて喋り声を聞いた感じ。
普通にJ-Popを聴いてきたような人間には出会うことは多くないアーティストなんじゃないかな。
これまで吉田拓郎氏のファンだった人に会ったのはただ一人。ただ一人です。
ブログにも書いたことがありますけど2丁目のお店のマスターをしてた方で2015年に旅立たれた方です。
その方は吉田拓郎、松任谷由実の強烈なファンでした。良い意味で信者っていうくらい好きだったんじゃないでしょうか。
どちらのライヴにも行かれてましたし、新譜が出ると手にされてました。
目を閉じてあの頃に戻ってみましょう。
もう9年も前のことになります。
その日は引っ越しのため不動産屋に寄る用事があったので、その帰りに西新宿の病院に入院しているある方(以下Tさん)のお見舞いに行きました。
お見舞いは何を買ってゆこうか悩みましたが景色を見るのがお好きだったので空の写真集を紀伊國屋で買って持っていきました。
そのときはまだ手術前だったので、それまでのTさんとさほど変わってなかった。
元気が取り柄のTさん、ラガシャツにストライプの寝巻き姿は「らしい」けれど手には点滴をされてたのでやっぱり病院の住人の容姿でした。
疲れさせてもいけないので30分ほどの世間話をして病院をあとにしました。遠くからお姉さんが来てくれたのがうれしかったようでした。
病院のトイレを使用したとき、設備の余りの古さに驚きましたが、もうあの場所も取り壊され立派な新しい建物に姿を変えています。
Tさんがいた都庁を望む病室もなくなっていることでしょう。
それからはLINEのトークを通じて手術が無事終わり退院されたことは知っていました。
10月に入り、お店にも出ているということだったので安心していましたが実情はそうでもなかったようなのです。
自宅で暇してるとのことでしたのでお見舞い行きますよとLINEトークをすると返ってきたメッセージは
『来る時レトルトのお粥を買ってきて』
Tさんから頼まれることってほとんどなかったので意外でした。頼まれたので近所のスーパーで何種類かのお粥を買っていきました。
玄関のブザーを押すと中から『開いてるよ』と声が聞こえてきたので中に入るとTさんは
奥の部屋のベッドの上に座椅子を置いて座っていました。こうするのがラクだと言っていた。
ひと月ぶりに見た姿は思ったより、しんどそうで胃を切ってるのでガリガリに痩せていたし、お店で風邪をもらってしまったようで酷い咳をして声もかすれていました。
次のユーミン苗場はいけないこと、退院後の暮らしのこと、仲良くしてるお客さんが飲むヨーグルトを持ってきてくれたこと、先生やYパパに会いたかったことなどひとしきり雑談をしてお店の話になった時に表情が変わったのです。
退院してすぐにお店に出ていたそうなんです。そこでTさんの一周り歳下のお客さんBさんとお店でたまたま会ってその方に『デビューの店なんだからなくさないでよ』と言われたようでした。
その話をしながら涙声になって涙がポロポロ落ちてゆき「なくさないわよ!なくすわけないじゃない!」そう唇をかみしめたのです。
大雑把に見せてるけど本当は繊細な人だったんです。
その日、咳が酷かったので今からでも病院に行ってはどうですか?と言ってはみましたが「明日、病院だからいいの」と。
あの時自分がもっと強く言えたら別の結末があったのかもしれませんが60歳の男性に対してそれ以上言うのは失礼というもの。
その日からしばらくしてグループLINEで先生が「Tさんの既読が付かないね」とのメッセージがありました。
頻繁にやりとりしてたのでそこまで気にしてなかったのですが、言われてみればおかしいですよね。急に心配になりました。
そして10月の終わりに入院していることを聞いて、間もなく訃報が流れてきました。
その朝は富士五湖に行くことになっていたので現地に向かいましたがガーステレオで流したユーミンの曲が沁みて沁みて…
高速道路からの景色が走馬灯のように記憶を蘇らせました。
沖縄旅行、滋賀方面旅行、伊勢神宮方面旅行、ユーミン苗場、ユーミンツアー、マッキーライヴ、美里野外ライヴ、舞台観劇、スマホ購入…沢山の思い出を残してくれました。
あの年…
ユーミン苗場に珍しく先生が来たんだよね。それだけがせめてもの救いだった。
Tさんは先生のこと別れても好きだったからね。先生のことを思う時にユーミンの『自由への翼』を歌ってたみたい。
先に出てきたBさんは僕とはひと回り歳上で個人的な印象ですが毒舌な方という先入観がありました。嫌われてると思ってました。(苦笑)
Bさんの友達がマッキーのライヴに誘ってくれた時にBさんも来ていて初めて2丁目以外で話をさせていただきました。思ったより優しい方でした。
そのときLINEを交換していただいてやりとりさせていただいたのですが、こだという人と絶縁する時にLINEを作り直したのでもう連絡もできませんが。
その時にこの話を本人に伝えられてよかったです。
拓郎さんといえばTさんっていう印象しかなかったのですが、YouTubeで「祭りのあと」と言う曲をたまたま聴いて「意外に良い曲あるんだ」と思ったの。
その動画の音がオリジナルではなく、リアレンジだと思うんだけど…みゆき感あるから瀬尾一三アレンジかも知れないけど…それがすごく良かった。
https://youtu.be/n8OUm1rtS8A
もうちょっと聴いてみたいと思い、手っ取り早く代表曲の多いこのアルバムをチョイスしました。
Tさんの生前にこれを聴いてたらもっと色々話もできたなあなんて思いながら聴いています。
アコースティックである故に四畳半フォーク的アプローチかと思いきや、そんなことはなく結構普遍的なラブソングや内省的な世界観は見えるけれど僕は四畳半フォークの湿り気や自己陶酔は感じられなかった。
サウンドにしても『旅の宿』とか『人間なんて』とかの印象が強いけれどフォーク路線から歌謡曲、ニューミュージックとかのちのJ-popに寄っていってるような気さえします。
この人の音楽が数多くのミュージシャンに影響を与えているような気はする。桑田佳祐なんかは洗礼をうけているのではないだろうか。
桑田でいえば『祭りのあと』という同名タイトルで曲も出してるし。
新宿は変わっています。
小田急百貨店取り壊して建て替え、高層ビルになるとか。
拓郎さん引退されました。
竹田企画も清算され、奥様に不動産の生前贈与もされたそうです。
まもなく9年が過ぎます。こんな自分もなんとか生きてます。
今ではあなたを思い出すことも減りました。でも忘れたりはしませんよ。
あなたが友人の命日にお店に花瓶を飾り思い出していたことを僕は憶えているからです。
先生もYちゃんもきっと…
GOLDEN⭐︎BEST 吉田拓郎 〜Words and Melodies
GTmusic / Sony Music Direct (Japan) Inc.
2011年5月18日発売(2CD : MHCL 1898 / 1899)
Mastered by 茅根裕司(Sony Music Studios Tokyo)
SonyMusic企画による吉田拓郎(よしだたくろう)氏のベストアルバム。フォーライフの音源もライセンス収録している。
Disc1
1. 明日に向って走れ
(作詞:作曲:吉田拓郎・編曲:松任谷正隆)
(C) 1976 YUI SONGS
1976年3月25日発売の11thシングル。最高8位、17.8万枚。
カントリー調のアコースティックな曲。これって松任谷正隆さんアレンジだからかユーミンに近い風合いを感じるんだよね。
アルバム『明日に向って走れ』
2. せんこう花火
(作詞:古屋信子・作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 YUI SONGS
アルバム『元気です。』
3. 元気です
(作詞:作曲:吉田拓郎・編曲:青山徹、大村雅朗)
(C) 1980 NICHION,INC.
1980年11月5日発売の20thシングル、最高37位・5.6万枚。
4. こうき心 '73
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
ビーイングを設立した長戸大幸氏はこの曲の歌詞に感銘を受けて吉田拓郎さんに会うためだけに接点を持とうとフォーライフのオーディションを受けたと本人が言ってました。
長戸大幸氏はオーディションに受かりサンプル盤『軽い気持ちで』も出来上がりデビュー寸前までいきましたがレコードは発売されることはありませんでした。
そのあと作曲家やら芸能プロモーター、ブティック経営などを経てビーイングを設立し、ユイ音楽移籍以前のBOOWYや浜田麻里などを送り出しTUBEやB'z、ZARD、T-BOLAN、WANDS、大黒摩季、DEENなどを送り出しブームをつくりました。1999年には倉木麻衣もプロデュースしています。
アルバム『LIVE '73』、オリジナルはアルバム『よしだたくろう 青春の詩』
5. 言葉
(作詞:松本隆・作曲:吉田拓郎)
(C) 1978 YUI SONGS
アルバム収録曲21曲農地の13曲は主に作詞を担当した松本隆氏と箱根に合宿して制作した。
アルバム『ローリング30』
6. 旅の宿
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
1972年7月1日発売の5thシングル。最高1位、70万枚。吉田拓郎氏の最高ヒットシングル曲。
アルバム『また明日。』(別ヴァージョン)
7. 花酔曲
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 YUI SONGS
サウンド的には、はっぴいえんどとさほど変わらないなあと感じた。
6thシングル『おきざりにした悲しみは』C/W
8. ビートルズが教えてくれた
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
印象的なエレキのイントロで始まるバラード。これが拓郎節ってやつなんだと思われる。
アルバム『伽草子』
9. 暮らし
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1974 YUI SONGS
初めて聴いたんですけどサウンドが『人生を語らず』に似てると思いました。こういうのも拓郎節ってやつなんでしょうかね?
アルバム『今はまだ人生を語らず』
10. 金曜日の朝
(作詞:安井かずみ・作曲:吉田拓郎・編曲:柳田ヒロ)
(C) 1973 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
1973年12月5日発売の8thシングル。最高27位、7.8万枚。
荒井由実っぽい風合いを感じる。
11. 夏休み
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
ライヴ盤『よしだたくろう オン・ステージ "ともだち"』で発表した楽曲をスタジオ録音
アルバム『元気です。』
12. シンシア よしだたくろう&かまやつひろし
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1974 YUI SONGS
1974年7月1日に発売された9thシングル。最高21位、15.2万枚。
アルバム『今はまだ人生を語らず』
13. たどり着いたらいつも雨降り
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 horipro & YUI SONGS
グループサウンズのバンド モップスが1972年7月5日にシングル表題曲として発表している。ただし、モップス版は『たどりついたら〜』であるのに対して吉田拓郎版は『たどり着いたら』と漢字になっている。
アルバム『元気です。』収録
14 おきざりにした悲しみは
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
1972年12月21日発売の6thシングル。最高11位・19.2万枚。
15. まにあうかもしれない
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 YUI SONGS
アルバム『また明日。』収録
16. 襟裳岬
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1985 Watanabe Music Publishing Co .,ltd.
1974年に森進一のシングルとして発売し最高6位、46.2万枚のヒットに。
アルバム『今はまだ人生を語らず』
17. ひらひら
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
アルバム『LIVE '73』
18. 唇をかみしめて
(作詞:作曲:吉田拓郎・編曲:広島二人組)
(C) 1982 YUI SONGS
1982年3月21日発売の23rdシングル。最高18位、9.7万枚。
19. 落陽
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
アルバム『LIVE '73』で発表された楽曲。オリジナルはライヴ音源で今作に収録されているのもこちら。
イントロで引き込まれてゆく…
繰り返す人生と沈んでは昇る太陽を重ね合わせている。
1989年9月13日に32ndシングルとしてリアレンジして発売。最高41位、2万枚。
アルバム『LIVE '73』収録
20. 人間なんて
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1971 YUI SONGS
アルバム『人間なんて』収録
21. イメージの詩
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1970 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
1970年6月1日発売。
『よしだたくろう オン・ステージ "ともだち"』
Disc2
1. 春だったね '73
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 YUI SONGS
アルバム『LIVE '73』収録音源
アルバム『LIVE '73』、『また明日。』
2. マークII '73
(作詞:古屋信子・作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
アルバム『LIVE '73』
3. ともだち
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1971 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
ゆずっぽいなと思ったから、ゆずは影響受けてるかも?
シングル『今日までそして明日から』C/W
『よしだたくろう オン・ステージ "ともだち"』収録
4. 流星
(作詞:作曲:吉田拓郎・編曲:鈴木茂)
(C) 1979 NICHION,INC.
1979年5月5日発売の16thシングル。最高54位、2.8万枚。
Tさんがとても好きだった曲で、よくお店で歌っていました。いつの間にか僕も歌える曲になってたな。こんなに良いのにヒット曲ではないのですね。
5. 知識
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C)1974 YUI SONGS
初めて聴いた曲の中で一番気に入ったのがこちら。
アルバム『今はまだ人生を語らず』
6. 加川良の手紙
(作詞:加川良・作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 不明
手紙にメロディーを付けて歌うという画期的な手法で制作されたという。一瞬ラップかと思った。(笑)
アルバム『元気です。』
7. 伽草子
(作詞:白石ありす・作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
同名タイトルのアルバムから1973年6月21日に7thシングルとしてリカット。最高37位、6.7万枚。
最高36位、6.7万枚
8. どうしてこんなに悲しいんだろう
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1971 YUI SONGS
アーティストには好きなメロディーってきっとあるんだろう。拓郎氏に関してはその傾向が顕著だ。
アルバム『人間なんて』
9. 都万の秋
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
アルバム『LIVE '73』
10. おやじの唄
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 YUI SONGS
シングル『旅の宿』C/W
11. 贈り物
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1974 YUI SONGS
このあたりもニューミュージック寄りの質感。
アルバム『今はまだ人生を語らず』
12. 結婚しようよ
(作詞:作曲:吉田拓郎・編曲:加藤和彦)
(C) 1972 FUJI PACIFIC MUSIC, INC.
1972年1月21日発売の4thシングル。最高3位、42.2万枚。
13. 風邪
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
アルバム『伽草子』
14 となりの町のお嬢さん
(作詞:作曲:吉田拓郎・編曲:松任谷正隆)
(C) 1975 YUI SONGS
1975年9月25日発売の10thシングル。最高4位、30.2万枚。
松任谷正隆氏がアレンジを担当している。
15. 祭りのあと
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1972 YUI SONGS
オリジナル・ヴァージョンでしょうか?初めて聴いたのがリアレンジのライヴ・ヴァージョンでしたからちょっと違和感がありました。
アルバム『元気です。』
16. 制服
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1973 YUI SONGS
アルバム『伽草子』
17. 外は白い雪の夜
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1978 YUI SONGS
1978年アルバム『ローリング30』収録曲。この曲もTさんがよく歌って泣いてました。(涙もろい方でした)
17thシングル『春を待つ手紙』C/W
18. 7月26日未明
(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)
(C) 1984 不明
拓郎節なんだろうけど、尾崎豊を思い出してしまう。なぜだ。
アルバム『FOREVER YOUNG』
19. 人生を語らず
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1974 YUI SONGS
Tさんが同年代のお客さん3人で行った『吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006』の後によく聴いていた曲です。
その時の3人のうち2人は旅立っています。
2013年に堂本剛がアルバム『カバ』においてカバー音源を発表している。
アルバム『今はまだ人生を語らず』
20. 今日までそして明日から
(作詞:作曲:吉田拓郎)
(C) 1971 YUI SONGS
1971年7月21日発売の3rdシングル。最高59位、3.0万枚。
アルバム『よしだたくろう 青春の詩』
吉田拓郎氏の音楽との接点を思い浮かべてもなかなか見つけられない。なんとなく名前は知っていて大御所的な方くらいの認識しかなくその音楽に興味を持つこともなかった。
KinKi Kidsの番組に出演されていたときに初めて喋り声を聞いた感じ。
普通にJ-Popを聴いてきたような人間には出会うことは多くないアーティストなんじゃないかな。
これまで吉田拓郎氏のファンだった人に会ったのはただ一人。ただ一人です。
ブログにも書いたことがありますけど2丁目のお店のマスターをしてた方で2015年に旅立たれた方です。
その方は吉田拓郎、松任谷由実の強烈なファンでした。良い意味で信者っていうくらい好きだったんじゃないでしょうか。
どちらのライヴにも行かれてましたし、新譜が出ると手にされてました。
目を閉じてあの頃に戻ってみましょう。
もう9年も前のことになります。
その日は引っ越しのため不動産屋に寄る用事があったので、その帰りに西新宿の病院に入院しているある方(以下Tさん)のお見舞いに行きました。
お見舞いは何を買ってゆこうか悩みましたが景色を見るのがお好きだったので空の写真集を紀伊國屋で買って持っていきました。
そのときはまだ手術前だったので、それまでのTさんとさほど変わってなかった。
元気が取り柄のTさん、ラガシャツにストライプの寝巻き姿は「らしい」けれど手には点滴をされてたのでやっぱり病院の住人の容姿でした。
疲れさせてもいけないので30分ほどの世間話をして病院をあとにしました。遠くからお姉さんが来てくれたのがうれしかったようでした。
病院のトイレを使用したとき、設備の余りの古さに驚きましたが、もうあの場所も取り壊され立派な新しい建物に姿を変えています。
Tさんがいた都庁を望む病室もなくなっていることでしょう。
それからはLINEのトークを通じて手術が無事終わり退院されたことは知っていました。
10月に入り、お店にも出ているということだったので安心していましたが実情はそうでもなかったようなのです。
自宅で暇してるとのことでしたのでお見舞い行きますよとLINEトークをすると返ってきたメッセージは
『来る時レトルトのお粥を買ってきて』
Tさんから頼まれることってほとんどなかったので意外でした。頼まれたので近所のスーパーで何種類かのお粥を買っていきました。
玄関のブザーを押すと中から『開いてるよ』と声が聞こえてきたので中に入るとTさんは
奥の部屋のベッドの上に座椅子を置いて座っていました。こうするのがラクだと言っていた。
ひと月ぶりに見た姿は思ったより、しんどそうで胃を切ってるのでガリガリに痩せていたし、お店で風邪をもらってしまったようで酷い咳をして声もかすれていました。
次のユーミン苗場はいけないこと、退院後の暮らしのこと、仲良くしてるお客さんが飲むヨーグルトを持ってきてくれたこと、先生やYパパに会いたかったことなどひとしきり雑談をしてお店の話になった時に表情が変わったのです。
退院してすぐにお店に出ていたそうなんです。そこでTさんの一周り歳下のお客さんBさんとお店でたまたま会ってその方に『デビューの店なんだからなくさないでよ』と言われたようでした。
その話をしながら涙声になって涙がポロポロ落ちてゆき「なくさないわよ!なくすわけないじゃない!」そう唇をかみしめたのです。
大雑把に見せてるけど本当は繊細な人だったんです。
その日、咳が酷かったので今からでも病院に行ってはどうですか?と言ってはみましたが「明日、病院だからいいの」と。
あの時自分がもっと強く言えたら別の結末があったのかもしれませんが60歳の男性に対してそれ以上言うのは失礼というもの。
その日からしばらくしてグループLINEで先生が「Tさんの既読が付かないね」とのメッセージがありました。
頻繁にやりとりしてたのでそこまで気にしてなかったのですが、言われてみればおかしいですよね。急に心配になりました。
そして10月の終わりに入院していることを聞いて、間もなく訃報が流れてきました。
その朝は富士五湖に行くことになっていたので現地に向かいましたがガーステレオで流したユーミンの曲が沁みて沁みて…
高速道路からの景色が走馬灯のように記憶を蘇らせました。
沖縄旅行、滋賀方面旅行、伊勢神宮方面旅行、ユーミン苗場、ユーミンツアー、マッキーライヴ、美里野外ライヴ、舞台観劇、スマホ購入…沢山の思い出を残してくれました。
あの年…
ユーミン苗場に珍しく先生が来たんだよね。それだけがせめてもの救いだった。
Tさんは先生のこと別れても好きだったからね。先生のことを思う時にユーミンの『自由への翼』を歌ってたみたい。
先に出てきたBさんは僕とはひと回り歳上で個人的な印象ですが毒舌な方という先入観がありました。嫌われてると思ってました。(苦笑)
Bさんの友達がマッキーのライヴに誘ってくれた時にBさんも来ていて初めて2丁目以外で話をさせていただきました。思ったより優しい方でした。
そのときLINEを交換していただいてやりとりさせていただいたのですが、こだという人と絶縁する時にLINEを作り直したのでもう連絡もできませんが。
その時にこの話を本人に伝えられてよかったです。
拓郎さんといえばTさんっていう印象しかなかったのですが、YouTubeで「祭りのあと」と言う曲をたまたま聴いて「意外に良い曲あるんだ」と思ったの。
その動画の音がオリジナルではなく、リアレンジだと思うんだけど…みゆき感あるから瀬尾一三アレンジかも知れないけど…それがすごく良かった。
https://youtu.be/n8OUm1rtS8A
もうちょっと聴いてみたいと思い、手っ取り早く代表曲の多いこのアルバムをチョイスしました。
Tさんの生前にこれを聴いてたらもっと色々話もできたなあなんて思いながら聴いています。
アコースティックである故に四畳半フォーク的アプローチかと思いきや、そんなことはなく結構普遍的なラブソングや内省的な世界観は見えるけれど僕は四畳半フォークの湿り気や自己陶酔は感じられなかった。
サウンドにしても『旅の宿』とか『人間なんて』とかの印象が強いけれどフォーク路線から歌謡曲、ニューミュージックとかのちのJ-popに寄っていってるような気さえします。
この人の音楽が数多くのミュージシャンに影響を与えているような気はする。桑田佳祐なんかは洗礼をうけているのではないだろうか。
桑田でいえば『祭りのあと』という同名タイトルで曲も出してるし。
新宿は変わっています。
小田急百貨店取り壊して建て替え、高層ビルになるとか。
拓郎さん引退されました。
竹田企画も清算され、奥様に不動産の生前贈与もされたそうです。
まもなく9年が過ぎます。こんな自分もなんとか生きてます。
今ではあなたを思い出すことも減りました。でも忘れたりはしませんよ。
あなたが友人の命日にお店に花瓶を飾り思い出していたことを僕は憶えているからです。
先生もYちゃんもきっと…