#0 光と影の中で / #1 あー夏休み / #2 離したくはない / #3 揺れる想い / #4 謎 / 最終章〜あとがき

1993年、ビーイング全盛期の師走に発売されたオリコンの業界向け雑誌コンフィデンス誌上で、ビーイングのプロデューサー長戸大幸氏は耳病の悪化により引退することを発表した。
これはあくまで表向きのものであり、わざわざ業界誌で発表しているのだからそれなりの必要性があっただろうことは推測できます。
これに関しては事実関係が明らかになっていないため、ここでの言及は控えます。

とはいえ、ここまでトップダウンで進めてきた大きなプロジェクトですからそう簡単に引退というわけにはいかないのである。
長戸氏が、しがらみだらけの東京の芸能村に嫌気が差して東京を離れるのは事実ですが、本当に離れたのは96年前後だと思います。

1994年より、これまでシングルのジャケットの裏面やアルバムのクレジットに記載していた長戸氏の名前は消え、プロデューサーのクレジットはBeing Music FactoryからB.M.Fと記載されるようになった。

ここからビーイングの勢いは一気に衰退していき、その座を虎視眈々と狙っていたかのような新興勢力エイベックスと小室哲哉の時代へとバトンタッチされていくことになる。
2月に芸能事務所ボックスコーポレーションと共同でView(のちのFIELD OF VIEW)を投入しているが、セブンイレブンのコマーシャルソングだったのにも関わらず全く売れなかった。
他にもCup'sやハリウッド・モーターズ(織田哲郎プロデュース)などの新人も投入しているが注目さえされていない。
ただB'zが活動を活発化させてアルバムを出して存在感を見せつけたり、引き続きTUBEやT-BOLAN、WANDS、大黒摩季、DEENはシングルおよびアルバムを大ヒットさせる。
宇徳敬子やMANISHのアルバムもそこそこのセールスになりビーイング系が完全に売れなくなったというわけではない。
1995年はこれまで大手レコード会社に委託していた流通を自社で行うべく販売会社ジェイディスクを設立している。(のちにジェイディスクビーイングとなりビーイングに吸収合併された)
5月に、再起をかけたViewが改名しFIELD OF VIEWとして『君がいたから』で再デビュー。ボックスの石田ひかり主演ドラマ主題歌となり80万枚超え、続く『突然』もボックスの中山エミリが出演したポカリスエットCMソングとなりミリオンを達成する。
また女性ヴォーカル×ギタリストによるロックでダンサブルな音楽性を持つユニットPAMELAH(パメラ)がスマッシュヒットになる。
この年も、やはりZARDやWANDS、大黒摩季のアルバムがミリオンないしミリオンに迫る売り上げとなており、固定のファンがついたのでしょうか…生き残りですね。

1996年になるとビーイングに新しい動きがあった。
東京を離れて京都や大阪にいたプロデューサー長戸大幸氏がZAIN RECORDS内に関西専門レーベルとしてWEST HAUSを設立したのである。
長戸氏はビーイング全盛期に得た資金を注ぎ込んで東京に行かず大阪でも音楽制作の全てが出来るような環境づくりをはじめていたのだ。
そのレーベル自体は大きな成果を挙げるには至らなかったが、翌年再びZAIN RECORDSに関西専門レーベルとしてSpoonfulを設立する。

komatsumiho
ビーイングブームが落ち着いた1997年彗星の如く登場した小松未歩

小松未歩ベスト~once more
小松未歩
GIZA studio
2006-11-22



このレーベルSpoonfulからは名探偵コナンオープニングテーマ曲『謎』でデビューした小松未歩とFIELD OF VIEWに歌詞を提供したことがある辻尾有紗がリリースしている。
小松未歩がヒットしたことを受けて長戸氏はSpoonfulをレコード会社化することを即決し、関西初のメジャーレコード会社としてAmemura O-town Recordを設立する。
そして翌年、関西にあった複数のインディーズレーベルを合体させる形でレコード会社GIZAを設立する。
Amemura O-town Recordにいた小松未歩ものちにGIZAに合流している。
またこの年は、B'zのギタリスト松本孝弘がサウンドプロデュースの女性シンガー七緒香もデビューしている。

宇多田ヒカルが列島を激震させていた1999年、宇多田ヒカルより遅れること1年…倉木麻衣がデビューを飾る。
倉木麻衣のデビュー曲『Love, Day After Tomorrow』は新人ながらトップ20に初登場し、その後チャート急上昇!ミリオンに向けて走り出す。
その勢いのまま倉木麻衣はシングルが売れて2000年に発売した1stアルバムが300万枚を超える特大ヒットとなる。
倉木マネー、ZARDやB'zのベスト盤の売り上げにより膨大な資金を手にした長戸大幸氏は関西での活動を更に強化して愛内里菜、三枝夕夏などさまざまな女性アーティストを次々とデビューさせている。
ビーイングファンの中には関西(ギザ)がビーイングの中心になったここからの時代を暗黒期と呼ぶ者もいる。
とはいえ、長戸氏の頭の中は潤沢な資金をどう投資するかで一杯だったのではないだろうか。
本業が霞むほどに力を入れて取り組んだ不動産事業。大阪の堀江と呼ばれる地味な地域に不動産を所有し、若者が集まるような街にすべく開発。
オフィスビルはもちろん安く手に入れたマンションをデザイナーズにリノベーションして賃貸したり、自ら新築のマンションやビルを建てるなど派手な投資し、利益を上げた。
そして遂にはジョイントにも加わり、堂島リバーフォーラムを建設するにまで至った。

全盛期のアーティストたちはというと、B'zはマイペースに売れ続け、ZARDもそれなりに売れていたが2007年に坂井泉水が逝去したことで事実上終了、WANDSは96年に上杉昇と柴崎浩が脱退した後に第3期として活動を行うものの終了、DEENはビーイング制作から離れ、TUBEも2000年代にビーイング制作から離れた。
大黒摩季は99年に活動休止したままビーイングをやめ闘病を経て2012年に復帰。
T-BOLANは99年に解散するものの2012年に再結成したことを機に復活。

現在はB'zやZARDのメモリアル事業中心の東京、長戸大幸氏が手掛ける大阪GIZAstudioがかろうじて動いている状態。
東京も大阪も次代のアーティスト発掘に成功したとは言い難く、時代の流れもあって音楽事業は厳しくなってきている。
また時代がさらに巡ればビーイングが懐メロなどで取り上げられることもあるかもしれない。
我々世代にとっては強烈な記憶を残したビーイングはこれからどこに向かうのか。