#0 光と影の中で / #1 あー夏休み / #2 離したくはない i/ #3 揺れる想い / #4 謎 / #5 最終章〜あとがき

B'zのブレイク、B.B.Queensのヒットを受けて長戸大幸プロデューサーは積極投資とばかりに次々と新人を送り込んだ。

当時はまだモデル事務所的な存在だったスターダストプロモーションと組んでスターダストのモデルたちをデビューさせていったのである。
1991年2月にはZARD(ヴォーカル坂井泉水のユニット)、Mi-ke(B.B.Queensのコーラス隊)、中畑幾久子(のちの中沢晶)がデビュー。
ZARDの坂井泉水はMi-keのオーディションで落選していながらMi-keより早くデビューしたという…。

4月には、ビーイング初の自前のレコード会社としてビージンを設立し、その第一弾として川島だりあを投入。
川島だりあは元クラリオンガールで、夜のヒットスタジオのダンサーチームDee-Deeに所属して、既にソロで歌手デビューもしていたので厳密には再デビューとなる。
さらに7月にT-BOLANが川島だりあ提供楽曲でデビューする。

昨年に引き続きB'zとTUBEはヒット曲を連発し、ZARDのデビュー曲はスマッシュヒット、Mi-keはデビュー曲にして大ヒットとなる。

1991年秋クール関西テレビのドラマ『ホテルウーマン』が放送された。主題歌はB'zのミリオンセラーシングル『ALONE』であった。
番組挿入歌としてオンエアされたのがT-BOLAN、宇徳敬子、栗林誠一郎、WANDS、大黒摩紀などのビーイング系アーティストの楽曲だったのである。
中でもT-BOLANの『離したくはない』は有線放送でも注目され、1stアルバムからリカットして2ndシングルとして発売してロングセラーになり、ひと足先にブレイク期に入った。
同番組のサントラとして発売されたミニアルバムにはデビュー前のWANDSおよび大黒摩紀(のちの大黒摩季)の楽曲も収録されている。


ビーイングブームに先駆けて独自にブレイクしたT-BOLANの名曲

年が明けて1992年。
B'zとTUBEは引き続き売れ続けている。

作曲家としての地位を築いていた織田哲郎がシンガーとしてポカリスエットCMソング『いつまでも変わらぬ愛を』で90万枚を超える大ヒットを手にする。
CM音楽制作会社ミスターミュージックの吉江一男社長は生前、『長戸大幸氏の推薦で織田哲郎を採用した』と記している。

また、『離したくはない』がヒットしていたT-BOLANが2ndアルバム『BABY BLUE』でチャート上位を獲得、その後もリリース攻勢が続きシングル『じれったい愛』が大ヒットすると同年3rdアルバム『SO BAD』を発売しミリオンに迫る売り上げを叩き出す。
さらにこのあとシングル『Bye For Now』までも発売しミリオンとなる。

5月に大黒摩季が『STOP MOTION』でデビューするも余りに売れなかったので同名のミニアルバムをもってプロジェクトは終了する予定だった。
たまたまビーイング事務所に来訪していたCM音楽制作会社ミスターミュージックの吉江一男氏と再会。吉江氏とはCM NETWORKという企画物でお世話になっていた。
そこで楽曲制作を依頼されて個人的に制作。提出した楽曲がプレゼンに通りCMで起用されることになる。
長戸大幸プロデューサーには事後報告だったため怒られたというが結果的に2ndシングルの『DA.KA.RA』はチャート上位を獲得し自身初のミリオンセラーに向けロングセラーを始める。
当然のことながら大黒摩季プロジェクトは継続となるが、劇的なヒットということもあり、入っていたコーラスの仕事と曲作りに追われて自身のリリースは翌年までストップしてしまう。

その夏、ZARDにも転機が訪れていた。
これまでのロックを打ち出した路線やダークなアートワークを方針転換し、ポップスの王道にシフト、自然体のお姉さん風ビジュアル展開に変更した。
シングル『眠れない夜を抱いて』はテレビ出演したこともあり注目されヒットとなる。その翌月にアルバム『HOLD ME』を発表。シングルのヒットの勢いもあっチャート上位を獲得。さらに同月にシングル『IN MY ARMS TONIGHT』も発売しブレイク状態に。

さらに!デビュー以来くすぶっていたWANDSにまでも転機が訪れたのだ。
ビーイングがプロデュースの中山美穂のシングル曲『世界中の誰よりきっと』に& WANDSとして参加。たちまち大ヒットとなり、WANDSへの注目度が増したことで既にリリースしていた『もっと強く抱きしめたなら』がチャート急上昇、ヒットし始める。
年末にはスターダスト絡みでManishがデビューしている。

B'zなどの作品はBMGビクターから発売されていたがBMGに設置されていたビーイングのレーベルをBMGルームスとして法人化。

この年、T-BOLANがビージン(ビーイングのレコード会社)に移籍すると同時に新レーベルZAIN RECORDSが設置された。
年が明けるとビージンは社名変更しZAIN RECORDSとなる。
またポリドールに設置していたb.gramレーベルを法人化しB-Gram RECORDSが設立される。

激動の1992年…
もちろんコケたプロダクツも多かった。
ビジュアル系バンドDEEP'SやロックバンドMOON(矢嶋良介)、中谷美紀が在籍していたことでも知られるKEY WEST CLUB、AV女優桜樹ルイ率いるチェリールイなど。

それでもB'z、TUBEに加えてT-BOLAN、大黒摩季、ZARD、WANDSがブレイクしたことでいわゆるビーイング系のブームは始まった。
この時期、坪倉唯子や近藤房之助(コラボ)までも地味にヒット曲を出している。
そして1993年へ。