織田哲郎
Tetsuro Oda

オダテツロウ おだてつろう
1958年3月11日生まれ、東京都出身。A型。

tetsurooda

FENCE OF DEFENCEの北島健二さんの紹介で長戸大幸さんと出会う。
企画モノのバンドのコーラスとしてレコーディングに参加する。自作の楽曲を長戸氏に聴かせ、企画モノバンドのヴォーカルとしてプロ活動を開始する、
織田さんがプロとして音楽をやることに対して両親は反対していたという。そんな両親の元に長戸氏は出向き、説得してくれたと織田哲郎さん自身が語っている。
80年代を目前に長戸氏は『専業作家の時代は終わる!これからは自作自演のアーティストの時代がくる!』と考え、織田と組もうと決めたという。
長戸氏が阿久悠氏などの資金出資を得てビーイングを創業した際に織田哲郎さんも参加している。
ソニーと組んで織田哲郎関連の作品を発売するが、どれも商業的には成功とは言えないかった。
織田哲郎の名を一躍有名にしたのは1986年、ビーイングが売り出していたTUBE提供した『シーズン・イン・ザ・サン』のヒットである。
90年に入り『おどるポンポコリン』の国民的ヒットを経験し、ビーイングブームに突入するとミリオンセラーシングルを量産する。
また、1992年には織田哲郎自身もポカリスエットCMソング『いつまでも変わらぬ愛を』でミリオンに迫る大ヒットに恵まれた。
これはビーイングの長戸大幸氏が、CM音楽制作会社ミスターミュージック創業者の吉江一男に強烈にプッシュしてCM起用されたもの。吉江氏は生前このことを『長戸さん推奨の織田哲郎を使った』と話している。

★ 作曲(シングル表題曲)

・ZARD『Good-bye My Loneliness』『不思議ね…』『もう探さない』『眠れない夜を抱いて』『負けないで』『揺れる想い』『きっと忘れない』『この愛に泳ぎ疲れても』『あなたを感じていたい』『マイフレンド』『君に逢いたくなったら…』『風が通り抜ける街へ』『息もできない』
・大黒摩季『チョット』
・WANDS『愛を語るより口づけをかわそう』『世界が終るまでは…』
・DEEN『このまま君だけを奪い去りたい』『翼を広げて』『Memories』『瞳そらさないで』『』ほか
・宇徳敬子『あなたの夢の中そっと忍び込みたい』
・FIELD OF VIEW『君がいたから』『突然』『Dreams』『DAN DAN心魅かれてく』
・中山美穂&WANDS『世界中の誰よりきっと』
・Wink『咲き誇れ愛しさよ』
・中原薫『淋しがりや ふたりぼっち』
・ZYYG『君が欲しくてたまらない』『ぜったいに 誰も』
・Manish『声にならないほどに愛しい』『君が欲しい 全部欲しい』『眠らない街に流されて』
・T-BOLAN『すれ違いの純情』『サヨナラから始めよう』
・浅香唯『Chance!』
・南野陽子『Kissしてロンリネス』
・浜田麻里『Precious Summer』
・関ゆみ子『ゆめいっぱい』
Mi-ke『想い出の九十九里浜』
B.B.Queens『おどるポンポコリン』『ギンギラパラダイス』『ぼくらの七日間戦争〜Seven Days Dreams』『夢のENDはいつも目覚まし』
・TUBE
・相川七瀬


★ 織田哲郎 SNS

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