柴田淳|ため息(2003)にもどる
このエントリーを書いたのは2021年1月ですが、投稿日を変更しています。
私はよく、なんとなくiPhoneで音楽を聴いているのだけど、ここ最近ブログに書くこともあってナンノを聴いてました。
連想ゲームじゃないけど、アイドルつながりでCoCoとか浅香唯なんかも聴いてました。
CoCoの歌で『神様はいじわるじゃない』というのがあります。作詞は田口俊、作曲は羽田一郎、編曲は今や重鎮の中村哲さん。
たしかなんかのカップリング曲だったと思うのだけど、昔から結構好きでした。CoCoってアイドルグループだったけれど、楽曲のクオリティーが高くて…今ベテランになってるアレンジャーのアーリーワークスもおおかったりするのです。
すごく厳しい環境の時期に聴いてた曲というのもあって、当時の記憶がリンクしてきます。
2003-2004年頃に聴いてた音楽も同じように当時の記憶がリンクされてて、たまに聴いたりするとはっきりその当時を思い出すことができる。
…柴田淳について書いてみよう。
Aに色々話したり、相談したりさせてもらっていた。初めAは『ワンルームだけど僕のマンションに来る?』と言ってくれて、東林間にある彼の部屋を見に行った。
『少し片付けるからちょっと待ってて』
そう言われて駅前でしばらく待ことに。。僕の中でAのイメージはちゃんとしてる人だったので、きっと部屋も綺麗にしてるだろうななんて思いを巡らせながら時間を待った。
今でもはっきりと憶えているんだけど(笑)どんなに言葉を探しても見つからない…俗に言うゴミ屋敷でした。
さすがに初めて見たから驚いてしまって、しばらく言葉を失ってしまいました。そんな姿を察さないAではないので、ちよっと困ったような態度でいたけど、ひらめいたように『新しいとこ借りよ』と言いました。
きっとAは見るに見かねていたと思うし、同情してくれたんだろうね。二人で住める部屋を借りてくれたんです。
そこからは早かった。Aは、もともと行動力がある人ですぐに部屋を決まり、あれよあれよと引っ越しをして、二人での暮らしは始まった。
僕としてもここまでしてくれたのだから、Aのために何かしなければと家事などできることをしていた。
同時にAとの関係についても、これまでとは変わるだろうと考えていた。それはつまりAと一緒にやっていくってこと…つまりはお付き合いという形ですよね。
ずっと悩みました。でもここまでのことをしてくれたわけだから、『夜一人で寝たくない』という言葉にも応えてあげなきゃという気持ちでいたし、けじめをつけなきゃならないと思ってもいました。
Aの友達BはAと同い年。
明るくて良い人そうなのだけど実は結構腹黒タイプ。自分で自分のことを天邪鬼と言うほど気分屋タイプ。僕にしてみたらただのクズなんだけどね。
どんな人かわかりやすいエピソードがある。
Aが病気で西新宿の病院に入院したとき、BはAの彼氏と一緒に見舞いに行った。
その帰りBはAの彼氏を誘い、強引にエッチしたという。Aの元彼氏から聞いたんだよ。
Aの元彼氏は堅い男が幅を利かす仕事をしていたが、バリバリのネコ。Aの彼氏は無理矢理タチをやらされたと苦笑いで話していた。
つまり親友の彼氏であろうとお構いなく食べてしまう。Bはそういう人なのだ。
僕も食われてますけど。(笑)そのときは、練馬方面のBの元カレの部屋で、しかもBの元カレがいる場所でそういう関係になるという最低なことをしてしまいました。
もちろんBの元カレがそこにいるなんて聞いていませんでしたよ。
Bの元カレの立場になると本当に申し訳なかったと思うし、いたたまれなくなります。
別れてるからいいのか?って話ですよ。
Bは、もともと僕とAが接近するのをよく思っていなかったと聞いています。
しばらくしてAから突然告げられました。
『mixiで彼氏ができたんだけど、住むとこないからここに住ませていい?』
立場的にそれを拒むことはできませんから、同意しました。
それからすぐにAの彼氏なる人物がやってきました。引っ越しにはBが手伝いにきていました。品定めでもしたかったのでしようか。
それから毎日が地獄のようでした。
Aに対する不信感も募り、はっきりとは言わないが出て行けという無言の圧力の中で気疲れしていた。
とにかくストレスでおかしくなりそうでした。
そこからですね、行かなくなっていた2丁目に再び行き出したのは。
部屋にいても全然落ち着かないし、Aの彼氏は働かないからずっといるし、いつもその存在を気にしながらそこにいるのは地獄です。
その二人がイチャイチャする声が聞こえてくるのもなんだかね。
しかもAが僕に対してものすごく冷たくなったのもこの時期なんだよね。
とはいえ、本当にそこにいたくなかったから親に頼み込んで資金をつくり東京に引っ越すことにしたんです。
相模原の市役所で転出届を出したときには、抜け出せるみたいな気分になったのも事実です。
もちろんAと将来的にお付き合いして、二人でやってくのかななんて思ってたことも同居人の登場でなくなりました。
でも、Aの寂しさを埋めるアイテムとして飼われるのは僕には無理だったとも思うけど。
たぶんAの彼氏もBに食われてるだろう。
Bは日本人では物足りず外国人の彼氏ができたとか聞いた。
そんなことのあとだったから、東京での一人暮らしは快適でした。
すぐに仕事が決まったこともあって安定してたな。
そんなときに二人の男子と出会って楽しい思いをしました。
一人は相模原時代の終わりころに出会ったアメフト部の大学生。鶴川の子。
甘えん坊キャラに個人的にくすぐられました。部屋で食事を作りたくなくて、その子の部屋でカレーを作ったりしましたよ。
もう一人は中野坂上?北新宿?のほうに住んでたこちらも大学生。
ある女性アイドルのファンで、年齢の割に色々知っていたから話すのが楽しかった。
エッチを追求してたこともあったなあ。
お勧めしたユーミンや麗美のことを気に入ってくれました。
歳上の人と付き合っていたみたいで、歳上の扱いに慣れてる感じが面白かった。
神様はいじわるじゃない
そうでしょ。嫌なことの後には良いこともある。恋愛云々ではなく、男遊びは楽しいですよね。
色々あったけど、一人暮らしを始めてからのほうが楽しいです。
飲み屋さんにも気軽に行くようになって、そこから拡がった思い出も数知れず。
相模原で飼い主の帰りを待つだけの暮らしを想像するとちょっとゾッとします。
噂で聞きましたがBは千葉でドイツ料理の店を彼氏と出したとか、なかなか繁盛してるようで少しは真人間になったのかな?
そうあって欲しいものです。
先生の家の近くだからその店に行ってみたい。ただの客として。

今も音楽は自分の生活にはなくてはならないもので、それはずっと変わらないと思うんだけど、かつての知人が病気になったとか、亡くなったとかいう話を聞くと、生きるってなんなのかなとか思ったりもします。
僕の頭の中にいつもあるのはユーミンの言葉『人は希望があるから生きて行ける』…本当にそう。
死にたくないというのは生きたいってことでもあると思うから。
このエントリーを書いたのは2021年1月ですが、投稿日を変更しています。
私はよく、なんとなくiPhoneで音楽を聴いているのだけど、ここ最近ブログに書くこともあってナンノを聴いてました。
連想ゲームじゃないけど、アイドルつながりでCoCoとか浅香唯なんかも聴いてました。
CoCoの歌で『神様はいじわるじゃない』というのがあります。作詞は田口俊、作曲は羽田一郎、編曲は今や重鎮の中村哲さん。
たしかなんかのカップリング曲だったと思うのだけど、昔から結構好きでした。CoCoってアイドルグループだったけれど、楽曲のクオリティーが高くて…今ベテランになってるアレンジャーのアーリーワークスもおおかったりするのです。
すごく厳しい環境の時期に聴いてた曲というのもあって、当時の記憶がリンクしてきます。
2003-2004年頃に聴いてた音楽も同じように当時の記憶がリンクされてて、たまに聴いたりするとはっきりその当時を思い出すことができる。
…柴田淳について書いてみよう。
Aに色々話したり、相談したりさせてもらっていた。初めAは『ワンルームだけど僕のマンションに来る?』と言ってくれて、東林間にある彼の部屋を見に行った。
『少し片付けるからちょっと待ってて』
そう言われて駅前でしばらく待ことに。。僕の中でAのイメージはちゃんとしてる人だったので、きっと部屋も綺麗にしてるだろうななんて思いを巡らせながら時間を待った。
今でもはっきりと憶えているんだけど(笑)どんなに言葉を探しても見つからない…俗に言うゴミ屋敷でした。
さすがに初めて見たから驚いてしまって、しばらく言葉を失ってしまいました。そんな姿を察さないAではないので、ちよっと困ったような態度でいたけど、ひらめいたように『新しいとこ借りよ』と言いました。
きっとAは見るに見かねていたと思うし、同情してくれたんだろうね。二人で住める部屋を借りてくれたんです。
そこからは早かった。Aは、もともと行動力がある人ですぐに部屋を決まり、あれよあれよと引っ越しをして、二人での暮らしは始まった。
僕としてもここまでしてくれたのだから、Aのために何かしなければと家事などできることをしていた。
同時にAとの関係についても、これまでとは変わるだろうと考えていた。それはつまりAと一緒にやっていくってこと…つまりはお付き合いという形ですよね。
ずっと悩みました。でもここまでのことをしてくれたわけだから、『夜一人で寝たくない』という言葉にも応えてあげなきゃという気持ちでいたし、けじめをつけなきゃならないと思ってもいました。
Aの友達BはAと同い年。
明るくて良い人そうなのだけど実は結構腹黒タイプ。自分で自分のことを天邪鬼と言うほど気分屋タイプ。僕にしてみたらただのクズなんだけどね。
どんな人かわかりやすいエピソードがある。
Aが病気で西新宿の病院に入院したとき、BはAの彼氏と一緒に見舞いに行った。
その帰りBはAの彼氏を誘い、強引にエッチしたという。Aの元彼氏から聞いたんだよ。
Aの元彼氏は堅い男が幅を利かす仕事をしていたが、バリバリのネコ。Aの彼氏は無理矢理タチをやらされたと苦笑いで話していた。
つまり親友の彼氏であろうとお構いなく食べてしまう。Bはそういう人なのだ。
僕も食われてますけど。(笑)そのときは、練馬方面のBの元カレの部屋で、しかもBの元カレがいる場所でそういう関係になるという最低なことをしてしまいました。
もちろんBの元カレがそこにいるなんて聞いていませんでしたよ。
Bの元カレの立場になると本当に申し訳なかったと思うし、いたたまれなくなります。
別れてるからいいのか?って話ですよ。
Bは、もともと僕とAが接近するのをよく思っていなかったと聞いています。
しばらくしてAから突然告げられました。
『mixiで彼氏ができたんだけど、住むとこないからここに住ませていい?』
立場的にそれを拒むことはできませんから、同意しました。
それからすぐにAの彼氏なる人物がやってきました。引っ越しにはBが手伝いにきていました。品定めでもしたかったのでしようか。
それから毎日が地獄のようでした。
Aに対する不信感も募り、はっきりとは言わないが出て行けという無言の圧力の中で気疲れしていた。
とにかくストレスでおかしくなりそうでした。
そこからですね、行かなくなっていた2丁目に再び行き出したのは。
部屋にいても全然落ち着かないし、Aの彼氏は働かないからずっといるし、いつもその存在を気にしながらそこにいるのは地獄です。
その二人がイチャイチャする声が聞こえてくるのもなんだかね。
しかもAが僕に対してものすごく冷たくなったのもこの時期なんだよね。
とはいえ、本当にそこにいたくなかったから親に頼み込んで資金をつくり東京に引っ越すことにしたんです。
相模原の市役所で転出届を出したときには、抜け出せるみたいな気分になったのも事実です。
もちろんAと将来的にお付き合いして、二人でやってくのかななんて思ってたことも同居人の登場でなくなりました。
でも、Aの寂しさを埋めるアイテムとして飼われるのは僕には無理だったとも思うけど。
たぶんAの彼氏もBに食われてるだろう。
Bは日本人では物足りず外国人の彼氏ができたとか聞いた。
そんなことのあとだったから、東京での一人暮らしは快適でした。
すぐに仕事が決まったこともあって安定してたな。
そんなときに二人の男子と出会って楽しい思いをしました。
一人は相模原時代の終わりころに出会ったアメフト部の大学生。鶴川の子。
甘えん坊キャラに個人的にくすぐられました。部屋で食事を作りたくなくて、その子の部屋でカレーを作ったりしましたよ。
もう一人は中野坂上?北新宿?のほうに住んでたこちらも大学生。
ある女性アイドルのファンで、年齢の割に色々知っていたから話すのが楽しかった。
エッチを追求してたこともあったなあ。
お勧めしたユーミンや麗美のことを気に入ってくれました。
歳上の人と付き合っていたみたいで、歳上の扱いに慣れてる感じが面白かった。
神様はいじわるじゃない
そうでしょ。嫌なことの後には良いこともある。恋愛云々ではなく、男遊びは楽しいですよね。
色々あったけど、一人暮らしを始めてからのほうが楽しいです。
飲み屋さんにも気軽に行くようになって、そこから拡がった思い出も数知れず。
相模原で飼い主の帰りを待つだけの暮らしを想像するとちょっとゾッとします。
噂で聞きましたがBは千葉でドイツ料理の店を彼氏と出したとか、なかなか繁盛してるようで少しは真人間になったのかな?
そうあって欲しいものです。
先生の家の近くだからその店に行ってみたい。ただの客として。

今も音楽は自分の生活にはなくてはならないもので、それはずっと変わらないと思うんだけど、かつての知人が病気になったとか、亡くなったとかいう話を聞くと、生きるってなんなのかなとか思ったりもします。
僕の頭の中にいつもあるのはユーミンの言葉『人は希望があるから生きて行ける』…本当にそう。
死にたくないというのは生きたいってことでもあると思うから。