エッセイ:僕の見た小室哲哉
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歴史とは因果なものだ。
TMNの背中を叩くように登場し、たちまち大人気となったB'zを送り出したのは弱小音楽事務所だったビーイング。
そのビーイングは93年を全盛期としてブームを巻き起こしていた。
TMNの小室哲哉がプロデュースしたtrfがシーンの最前線に立ち、次第に衰退してゆくビーイング勢。
1995年、小室哲哉はこの世の春を迎えていた。

年明けよりtrfがシングルを3ヶ月連続リリースし、全てでチャート1位となり、全てでミリオンを記録する。
その勢いで発売したアルバム『dAnce to positive』はダブルミリオンとなる。

Feel Like dance いつの頃か 忘れそな遠い日

音楽プロデューサー小室哲哉の作品が次々と時代を彩るなか、小室さんが着手したのは自らもメンバーとして加入する新ユニットglobeである。もともとは2Unlimitedのようなヴォーカル+ラップのユニットで計画していたそうだが、小室さん自ら加入したことで本気度が高まった。
おそらく自分がメンバーのユニットでも華々しい記録を作りたかったのではないだろうか。
デビュー曲『Feel Like dance』は、いきなりドラマ主題歌となる。
当初はショーダウンで、trfのYU-KIのような声質の正体不明の女性が淡々と歌い、よくわからないラップが混ざり合ってるという不思議なスタイル。
そこにシンセを駆使した近未来サウンドに我々世代は酔いしれた。
そこから彼らは9月に本人出演のCMソング『Joy to the love (globe)』、11月にも本人出演のCMソング『SWEET PAIN』を発売。
1月にはJR東日本Ski Ski CMソングのシングル『DEPARTURES』を発売、バラードに大胆なリズムを絡ませたサウンドが人々の心をつかみ、メガヒットを記録する。
リリース攻勢は止まることはなく3月にアルバムのパイロットシングル『FREEDOM』をカットしたうえで、1stアルバム『globe』を発売。オリジナルアルバムながら413万枚売り上げた。

同時に、9月には小室哲哉専用プライベート・レーベルとしてORUMOK RECORDS(オルモック・レコード)をパイオニアLDC(現MNB UNIVERSAL)に立ち上げる。
まず『小室哲哉の秘蔵っ子』ともいわれた恋人、元アイドルの華原朋美をシングル『keep yourself alive』でデビューさせた。
小室さんが惚れ込んだという華原朋美の高音ヴォイスが光るナンバーで、小室さんのコーラス、シンセが効いた近未来的サウンドでトップ10入りとなる。
華原朋美のマネジメントは遠藤正則さんを中心にしたTK Roomが取り仕切り、CMのキャスティングなども請け負った。
年末の賞レースで取り上げられ、露出が増えたこともあり、2ndシングル『I BELIEVE』がロングセールス(最終的にはミリオン到達)するなど状況が一変。翌年3月に発売した3rdシングル『I'm proud』は本人&小室さん出演の東京ビューティーセンターCM曲としてオンエアされた。
ストリングスをフィーチャーしたバラードに強烈なリズムマシーンの音を入れるという小室マジックでミリオンに到達し、キャラクターもあいまって華原朋美はブレイクを果たす。
華原朋美も6月に発表した1stアルバムでダブルミリオンを記録する。

ユーロビートがウケて次々とヒットを飛ばしていたライジングプロダクションのアイドル安室奈美恵。
東芝EMIから発売したアルバムはエイベックス松浦勝人とライジング平哲夫が共同プロデュースし、ミリオンを記録していた。
平哲夫社長は、バーニングの小泉今日子や中山美穂に楽曲提供していた小室哲哉に注目しており、観月ありさでも数々の楽曲を依頼していた。平社長は安室奈美恵を小室哲哉に任せたいと思うようになり、それに合わせてレコード会社の移籍を望んでいた。
とはいえ、ミリオン歌手となった安室奈美恵を移籍させるというのは非常に大きな問題だった。
東芝EMI、ライジング平社長、バーニング周防社長の三者会談によりエイベックスへの移籍は決まったが、どのような落とし所だったのかはパンドラの箱である。
1995年8月、エイベックスのフェスで先行発表された安室奈美恵のエイベックス移籍。
そして小室哲哉プロデュースが開始されることに。フェスではユーロビートメドレーと歌詞が出来上がっていない状態の『Body Feels EXIT』が披露されている。
そこから、安室奈美恵の快進撃が始まり、アムラー現象なる社会現象を巻き起こした。
10月『Body Feels EXIT』(88.2万枚)、12月『Chase the Chance』(136.2万枚)、96年3月『Don't wanna cry』(139万枚)、6月『You're my sunshine』(109.9万枚)、7月にはアルバム『SWEET 19 BLUES』(335.9万枚)、8月には『SWEET 19 BLUES』(45.3万枚)をシングルカット。
翌年もヒットは続く。

ちなみに1995年は12月にTRFのアルバム『BRAND NEW TOMORROW』もプロデュースしており、かろうじてミリオンに到達している。

1995年〜1996年のプロデュース作品より

1995
3月27日 TRF『dAnce to positive』238.2万枚
8月21日 篠原涼子『Lady Generation 〜淑女の世代〜』53.5万枚
9月27日 hitomi『GO TO THE TOP』40.6万枚
12月11日 TRF『BRAND NEW TOMORROW』100.3万枚

1996
3月27日 globe『globe』413.6万枚
6月3日華原朋美『LOVE BRACE』257.1万枚
7月22日 安室奈美恵『SWEET 19 BLUES』335.9万枚
9月11日 hitomi『by myself』80.8万枚
9月15日 dos『chartered』21.5万枚

1997年
3月12日 globe 『FACES PLACES』323.9万枚
7月24日 安室奈美恵『Concentration 20』193万枚
11月12日 hitomi 『deja-vu』60.9万枚
12月24日 華原朋美『storytelling』136.6万枚

シングルを書き出すとどんでもない数になりそうなので省略しますが、上記アーティスト以外にもH Jungleとか、こねっととかも色々ありますよね。
すごい!の一言なわけですが、1997年頃から小室さんを取り巻く状況も変化が出てくるのです。

当事者の証言から(といっても片方からですが)、小室さんがパイオニアLDCと組んでオルモックを立ち上げ、たちまち華原朋美が売れたことが原点だったようです。
エイベックス創業者松浦勝人によると、エイベックスとうまく仕事をしていたのになぜ他所と組んで仕事をするんだ?という小さな不信感から始まります。
たしかに華原朋美のプロジェクトはエイベックス系の音楽出版社だったプライムディレクションTK Roomのスタッフが関与しており、松浦さんの中で『ウチのスタッフ使ってるじゃん』と疑問に思ってもおかしくはありません。
ならば華原は当然ウチ(エイベックス)でやるもんなんじゃないの?みたいな。
でも小室さんは他所と組むことで、エイベックスに対して影響力を強めたり、他所とエイベックスを比較をちらつかせ、小室さんにとって、より良い条件に持っていこうとしていたと推察しています。
そのことをきっかけとして、松浦さんは『脱 小室』アーティストの発掘に本気を出したそうです。
それがのちに出てくるEvery Little Thingであり、浜崎あゆみというわけです。

小室さんとエイベックスがギクシャクしだしたのです。
TK Roomから遠藤正則さんがTK MUSEUMに移り、小室さんのプロダクツはROJAMが総括する体制へ。
ただしこの時期、遠藤氏はEvery Little Thingのプロジェクトにも関与している。

そうこうしてる間に、松浦さんの悲願だった『脱 小室』アーティストEvery Little Thingがブレイクを果たす。音楽性は全く違うが、globeの売り方を踏襲するかのような戦略的な展開だったと思う。
小室さんはというと、エイベックスとはglobe関連は婚・妊娠・産休で安室奈美恵さんが一時離脱します。TRFとhitomiのプロデュースは終了。

そして小室さんは動きます!
旧知の渡邊有三ディレクターのポニーキャニオンと手を組み、これまたかつての旧友日向大介氏と共に現役女子大生だったトーコ(tohko)をプロデュース。
ポニーキャニオンでは、未来玲可、Kiss Destinationもリリースを行いました。

さらに、古巣のソニー・ミュージックエンタテイメントとも組んだのです。
小室さんも松浦さんが『脱 小室』に動いてることは察知していたでしょうから、意趣返しの意味もあって古巣に回帰したのではないでしょうか。
もちろん丸山茂雄さんがトップになっていたので、お願いされたというのもあるかもしれません。
ソニー・ミュージックはオーディション番組ASAYANのスポンサーになりました。
そしてオーディションで獲得したのが鈴木あみという少女でした。
1998年7月、シングル『love the island』でデビューします。
ちなみにこの年の4月には、松浦さんが華原朋美潰し(?)のために送り込んだといわれる浜崎あゆみがデビューしています。

鈴木あみは、生まれ持った愛嬌のある顔が男子にウケたこともあり、順調にリリースを重ねていきます。小室ファンの語り草になっている『love the island』『alone in my room』『all night long』の神がかり的なリリース攻勢はクオリティー含め、満点だったのではないでしょうか。
次の『white key』は久保こーじ曲でしたが、当時の鈴木あみのシングルでは最高売り上げとなり、アルバムに弾みを付けます。でもそこはTK!念押しでもう一枚シングル『Nothing without you / Silent Stream』を発売します。
SMEJに設置されたTrue KISS DiSCから発売した1stアルバム『SA』は200万枚に迫る大ヒットとなるのです。同レーベルではTM NETWORK、Ring、甲斐よしひろ、TRUE KiSS DESTiNATiONがりりーすしていますが、鈴木あみ以外はそれほど売れませんでした。
あみの存在はこのころの小室さんには本当に救いだったと思います。

ワーナーに移籍した華原朋美の売り上げは転落の一途をたどり、ワーナーさんも困り果てたことでしょう。その後、華原朋美とは破局しプロデュースも終了します、
ところが、そんな華原朋美を拾ってプロデュースしたのがエイベックスの松浦勝人というのも因縁を感じる。
ましてや浜崎あゆみが売れ始めていた時期ですよ。

小室さんはというと自身がメンバーとして参加していたglobeは3rd『Love again』(1998年、165.8万枚)、4th『Relation』(1998年、173.0万枚)と高水準の売り上げを維持していましたが、次の『FIRST REPRODUCTION』で50万枚となり売り上げが低迷。同年禁じ手のベストアルバムを発売し276.3万枚売ったのを最後に一つの時代が終わりました。以降、30万枚売れたアルバムはありません。
99年頃からは過去に手がけたアーティストが次々とベストアルバムを発売している点も見逃せません。

▶︎TRF『WORKS』1998.1.1
▶︎安室奈美恵『18 19 20』1998.1.28
▶︎globe『Love again』1998.3.31
▶︎tohko『籐子 -tohko-』1998.8.26
▶︎華原朋美『nine cubes』1998.11.25
▶︎globe『Relation』1998.12.9
▶︎華原朋美『kahala compilation』1999.2.10
▶︎ hitomi『h』1999.2.24
▶︎鈴木あみ『SA』1999.3.25
▶︎未来玲可『海とあなたの物語たち』1999.3.17
▶︎Ring『TEEN'S RING』1999.7.22
▶︎tohko『cure』1999.7.22
▶︎globe『CRUISE RECORDS 1995-2000』1999.9.22
▶︎KiSS DESTiNATiON『GRAVITY』1999.11.17
▶︎鈴木あみ『infinity eighteen Vol.1』2000.2.9
▶︎鈴木あみ『INFINITY EIGHTEEN Vol.2』2000.4.26

1994年頃から始まった小室哲哉ブームは2000年、エイベックスとの関係悪化を大きな要因として終焉を迎えました。
小室さん、唯一の希望だった鈴木あみが事務所とのトラブルからSMEを含めた泥沼裁判となり、小室さんのプロデュースも終了しました。

時期的に宇多田ヒカル、Misia、倉木麻衣など女性アーティストの勢いがある時代。R&Bやヒップホップ、レゲエが流行りでしたね。
小室さんもKiss Destinationを投入してはいましたが。

------もうちょっと加筆します。----

第3章『永遠と名付けてデイ・ドリーム』はまた来月。